明治維新後、熊本も時代の風雲に巻き込まれていきます。 明治9(1876)年10月政府が発令した廃刀令に反対する神道思想の神風連が挙兵、旧熊本藩の 士族や神官ら170余名が、熊本城に置かれた熊本鎮台に切り込み、鎮台司令長官などを殺害。 |
明治10(1877)年、参議を辞した西郷隆盛が鹿児島で挙兵、上京を開始。 |
薩軍は熊本鎮台を総攻撃。この時、突如 熊本城の火は旧城下へ波及しました。市街地の約9割を焼き尽くしたというこの火災は、 |
一万数千といわれた薩軍を、鎮台側はわずか三千人で迎え撃つことになります。結果的に熊本城に籠城。 熊本城が難攻不落の名城であることは、240余年の平和が続いた後、城が城としての役目を終えた時代になって始めて実証されることになったのです。
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