加藤清正の生まれは尾張国。
豊臣秀吉とは同郷というだけでなく、血縁関係にありました。 9歳で秀吉の小姓となった清正は、その後功績をあげ、天正11(1583)年の賎ヶ丘の戦では、「七本槍」の一人に数えられて3千石を与えられています。 そして、天正16(1588)年、肥後の統治に失敗した佐々成政の後を受け、小西行長と共に入国。肥後の北半分を領する大名になりました。 |
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文書上の築城着手は、関ヶ原の戦い後となる
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慶長16年秀吉の恩に報いるため、二条城における 清正の死後は当時11歳の忠弘が跡目を相続。 |
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